せもっちの「言いたい放題!!」

日頃思ったり、考えたり、見たり読んだりしたことを書いていきます。

生まれてくるとゆうこと

生まれてくる、とゆうことは。

その時点で、すでにもう、いつかは死ぬ、とゆうことも、同時に発生している。

 

なので、親とゆうものは、子を産んだその時点で、人を産んだ、とゆうプラスの事と、その生まれてきた子が、いつか死ぬことで、人を死なせる。

とゆう。

産んだことの「プラス」と。

死なせることの「マイナス」を。

二つ、抱えることになる。

のだと思う。

 

生まれたばかりの、赤ん坊は、めんこいね。

なんだか、最初は、そんなにふっくらしてない赤ん坊も、一週間もミルクを飲んでいれば、まるまるっとしてきて、顔もまんまるで、めんこいね。

 

100日のお祝いでは、なんとか、でっかい餅を背中にしよって、何歩かでも歩ければ、すごく縁起がいい、とゆうことで、うちでもやった。

わたしも、やったのかもしれない。

わたしが、何歩歩けたのかは、わからないけど。

 

うちの子らも、やった。

かなり、歩いたと思う。

かなり、と言っても、5歩くらいだと思う。

なんとか、歩いていた。

ニヤニヤしながら、ニコニコだろうか。

 

なんとか、バタバタと歩き、走るように歩き、こっちに向かって、ニヤニヤと、歩いてきた。

こっちまでなんとかくると、こっちにバタリ、とニヤニヤしながらも、必死になって、バタバタと歩いて、何歩か歩いて、こっちまできて、バタ、と倒れそうになるので、それを、抱っこ、することで、倒れないようにする。

やはり、まあ、あるわけだ。

いろんな、思い出が。

 

でも、そんな、子らも、いつかは、あれなんだろうな・・・

と思うと、申し訳ない気持ちに、最近なる。

 

なぜ、申し訳ないのか。

と言うと。

やはり、いつかは、あれだからだ。

 

わたしも、同じで、人間は、何歳違っていても、今の時代を、同じ時を生きている、とゆうことには変わりなく。

もちろん、年上の方に対しては、敬うべきですが。

こちらが年上だからと言って、威張ってはいけない。

 

それは、同じ、今のこの時を生きている同士だから、とゆうこともあります。

 

長い、地球の歴史から見て。

ほんの、数才、数十歳違うことは、たいした違いでもない、と思うからです。

今、同じ人生数十年を生きている、同士なんだとゆうことに、あまり、違いはないからです。

 

そうゆうことで。

 

子どもを産む、とゆうことは、人を一人、死なせる罪も、同時に抱えることになるんじゃないか。

赤ん坊を産んだ人、産んで、まだ子供が赤ん坊であったり、小さい子である場合には、まだまだまったく、自分が死ぬことは考えても、子どもが死ぬことは、考えないと思います。

しかし、やはり、自分が平均年齢から考えて、自分が40なら、あと、40年前後、自自分が60なら、あと、20年前後。

もちろん、平均寿命に必ず死ぬわけでは、ありませんが。

その前後に、その時は、くるわけです。

 

そうなると、次に考えるのは。

120まで生きた人もいるんだよな。

そう考えると、自分もそうなら、まだまだ人生長いじゃねーか。

と、思ったりもします。

わたしも、やはり、死ぬことは怖いので。

平均寿命よりも、けっこう生きることもあるんだよな。

とか、考えることもあります。

 

普段、死にたい。死にたい。

と思っていても、いざ、病気になどかかりますと。

苦しんで死ぬ時のことを、自分のすぐ近い将来のこと、と、考えると。

非常に、とてつもなく、恐ろしくなります。

なにが、恐ろしいって。

 

もちろん、死ぬこともありますが。

苦しんで死ぬ。

とゆうことが、やはり、怖いですかね。

 

なにか、事故のようなことで、一発で、あまり意識もなく、あっ、と言うまに、いってしまうようなものなら、怖い、とか、苦しい、とか、そんなに思わないんじゃないだろうか。

とも、思いますが。

やはり。

死んじゃうことには、変わりないことだとは、思います。

 

わたしは、できれば、眠っている時に、スッ、と楽に、とゆうのが、ありがたいな、と思ってますかね。

 

 

子どもらは、まだ小さいので、まだまだ、長く生きると思うけれども。

いつか、遠い日には、今のわたしのような年齢となり。

それから次の段階では、わたしはもう、いなくなっており。

今のわたしの年齢を、子供らが超える日が来て。

とゆう日は、必ず来るわけで。

 

とにかく、なんだか。

あまり、考えもなく、産んでしまって、なんだか、申し訳ない。

すまん、おまえら。

子どもら。すまん。

おまえらも、いつか、あれなんだよな・・・。

と思うと、なんたが、申し訳なくて。どうにもならん。

 

楽にあちらの世界に、いける人ってゆうのは、どのくらいなんだろうか。

調べれば、わかるかもしれない。

必死に、ネットとかで。

 

よく、わからないけれど。

 

楽に、眠るように、誰もがあちらの世界にいけるのなら、生まれてくることも、悪くないと思う。

だけれども、現実は、病気などで、苦しんで、苦しんで、あちらの世界にいく人のほうが、多いようだ。

わたしも、なった、去年。

いわゆる。悪性腫瘍、ガンに。

 

なんとか、助かったようだけれど。

化学療法とか、いろいろ、やっていただいた。

本来、絶対にもう、死ぬことが確定するはずの、ガン。

から生還した。

 

現代医療、日本の医療の、素晴らしい技術力、で、助かった。

 

本来なら、今ごろは、全身に転移し。

歩くことも、できない状態になっている頃だと思う。

 

そんな、わたしが、なぜか、ガン、とゆう死刑宣告をうけたのに。

助かっている。

ありがたいことだと、思います。

 

本当なら、痛くて、痛くて、苦しくて、苦しくて、苦しんで、苦しんで。

あちらの世界に、まもなく、いっていたはずが。

 

現代日本医療の、素晴らしい技術で、回復させて頂いた。

 

まだ、子供らが成長していくのに、付き合っていけるのだな。

と思うと、やはり、ありがたいです。

 

わたしがまた、なにかになる前に。

さっさと結婚して、赤ん坊を、孫を、だっこさせて、くれないかな。

とも、思ったりしています。

 

赤ん坊を、めんこい、赤ん坊を、また、抱っこしたいなぁ。

とゆう気持ちは、なんとなく、ありますかね。

 

では。