愚者せもっちの独り言日記

日頃思ったり、考えたり、見たり読んだりしたことを書いていきます。

【酔いどれグダグダエッセイ】第5回・人の善悪について①【嘘(ウソ)】編

【酔いどれグタグダエッセイ】第5回

人の善悪について

人には、やはり多少なりとも、といわれるものと、といわれるものがおります。

しかし、完全なる善人、とゆうものは、はたしているのでしょうか

・どんな時も人を裏切らない。

・約束を破ったことがない。

・嘘をついたことがない。

・なにをされても怒らない。

・暴力をしたことがない。

・人の傷つくことを言ったことがない。

などなど、善人とは・・・

と考えた場合、たくさんの要素があります。

もう、考えれば考えるほど、いくらでも出てくるくらい、この世のあらゆることに対して、

・【これは善】

・【これは悪】

と【カテゴリー】分けすることができるわけです。

 

そこで、やはり、上記のことを読んでみてもわかりますが、たとえば

・嘘をついたことがない

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とゆうのは、どうでしょうか。

たとえば、「自分は今まで生きてきて、嘘をついたことがないよ」とゆう人は、わたしは見たことがありません。

・子供のころ、親に怒られそうになって、どうしても怖くて、ついてしまった嘘。

・学校で先生に怒られそうになり、嘘をついてしまった。

・友人との約束を忘れてしまった。

・失敗してしまった時。

・よくわからないのに、かっこ悪いとゆうことで、知っているフリをした。

・逆に知っているのに、知らないフリをした。

・見たのに、見てないフリをした。

・見てないのに、見たフリをした。

一言で、嘘と言っても、いろいろあります。

上記に書かれていることは、基本的に、どうしても仕方がなかった場合です。

この場合は、人の善悪とは、ちょっと違う要素があります。

なんでしょうか?

そうです。

心の弱さです。

上記に書かれていることは、仕方なくついた嘘であるパターンが多く、この場合においては、【心の弱さ】が原因にあるように思います。

これは、人をキズつけたい、人にひどい目にあわせたい、といったような、悪のパターンではなく、自分を守りたい、とゆう気持ちが原因であり、【心の弱さ】がこの場合は原因になってきます。

【心の弱さからくる嘘】をつかないようにするには、どうしたら良いのか?

それはもう、勇気を持つ、しかないと思われます。

・人に攻められたらイヤだ。

・知らないと思われたくない。

・恥ずかしい。

・バカにされたくない。

こういったことから、人はついつい、嘘をついてしまいます。

勇気をもつためには、どうしたらいいのか?

それは、たくさん、厳しい思いをすることだと思います。

やはり、人間は、表面だけの知識だけでは、強くなれません。

体はもちろん鍛えなければ、強くなれません。格闘技の試合をたくさん見て、強くなったように感じていても、たいして実際には、強くなっていません。

それと同じように、心も、表面だけの知識では、心が強くなることは、なかなか難しいでしょう。

たくさん、

・人に裏切られましょう。

・恋人にフラれましょう。

・失敗を攻められましょう。

・知識がないことをバカにされましょう。

たくさん、たくさん、つらい思いをしましょう。

そうすることで、人間の心は、強くなるんだと思います。

人に裏切られます。

裏切られると、ショックを受けます、なんで裏切られたんだろう・・・

なんでこんな目にあわないといけないんだろう・・・

この時、じつは、

心の、精神の、魂(たましい)のトレーニングをしているのです。

他人が、つらい目にあっているのを見て、知って、聞いて、「たいへんだなあ・・」「かわいそうだなあ・・・」と思います。

でも、この時、心が強くなっていっているのは、実際にツラい思いをしている人であり、この話を聞いた人ではありません。

実際のツラい思いを乗り越えた人は、一つ、心や精神や魂が、強くなっているのです。

そのようにして、心を強くしていくことで、人はようやく

「人にウソをつくのは、人の心や精神や魂をキズつけることなんだ」

「人にウソをつくのは、絶対にしちゃあダメなことなんだ」

このことを、本当に理解するために、人は心の修行をしなくてはいけません。

 

そして、上記の最初の部分の嘘ですが、これはじつは、

ついてもいい嘘なんです。

これは、もっぱら子供のころは、誰でもがついて大人になるための嘘であり、成長するための嘘であるのです。

子供のころに、嘘をつかないと、大人になってから、嘘つきになってしまいます。

なので、子供のころには、たくさん嘘をついても、良いのです。

もしも、人の親であるのでしたら、子供がどうしても、仕方なく嘘をついているな。

と思った時、許してあげしまょう。

その嘘は、親を、あなたを、キズつけるためについた嘘ではないのです。

むしろ、子供は、親をキズつけたいと思っていません。

自分もキズつけたくありません。

誰もキズなどつけたくないし、キズつくことも、わかってないのです。

わかるための、学習なのです。

経験しないと、わからないことが、たくさんあります。

人の失敗を攻めたら、今度は、人に失敗を攻められましょう。

そうして、それを繰り返すことで、人の失敗をいちいち攻めていては、自分も攻められてしまうんだな、と勉強できます。

人のミスを攻めることで、今度は自分がミスした時に、多いに責められるでしょう。

人の恨みは、この世でもっとも怖いものです。

子供のころは大丈夫だったことも、大人になってからも、大丈夫であるとは、限りません。

子供のころに、友人の嘘を攻めたときのように、大人になってから、自分よりも立場の弱いものを攻めた場合、攻められた人間の気持ちは、子供のころよりも、はるかにツラいものになります。

そして、攻められた人間は、攻めた人間を恨み・憎みます。

大人になってから、人を簡単に攻めることは、激しい怒り・憎しみを買うことになるのです。

もう子供のころとは違うのです。人を攻めることには、代償がある、とゆうことも、子供のころにウソをついて、勉強しておかないと、いけません。

 

立場的に上である自分は、立場的に下である者を攻める時。

こんな計算があると思います。

「こいつが、自分よりも立場が上になることなんてない」

はたして、そうでしょうか。

必ずしも、そうではないと思います。

そのようにして、さんざんイジめた相手が、どれだけ自分を憎み・呪っているのか、しっかりと今一度、考えなおしたほうが、もしかすると、自分のためかもしれません。

 

お話を戻します。

つまり、嘘そのものが悪ではない、とゆうことです。それは

【自分を守るためについた嘘】

の場合です。

では、ついてはいけない嘘、もあります。それは

【人をキズつける嘘】です。

人をキズつける嘘を繰り返していると、いつしか、心がどんどん暗闇のほうへと向かっていきます。

人の心・精神をキズつけることを、なんとも思わなくなってしまうのです。

嘘をつくことも、繰り返していると、なれてしまいます。

とくに、大人になってからの嘘は、繰り返ししていくうちに、なんとも思わなくなってしまいます。

そうなった時、自分はもう、悪のほうになっている。とゆうことに、気づくべきですが。もう悪になってしまった場合、もう自分が人をダマすことを、やってはいけないこと。とは感じなくなってしまっています。

そうなると、もう、善の世界へ戻ることは、難しいでしょう。

子供の頃に、嘘をついてはいけない。とゆうことを、たくさん勉強しておかないと、いけません。

 

あと、嘘についての大切なことも、子供の頃に理解しておかないと、いけません。

それは

【ついても良い嘘】

【つかなくてはいけない嘘】

とゆう、善の嘘があるとゆうことです。

善の嘘とは。

良い嘘のことです。

良い嘘とは。

自分を、人を守るための嘘です。

これは

・知っているのに、知らないフリを【してあげる】嘘。

・知らないのに、知っているフリを【してあげる】嘘。

などです。

最初の、知っているのに、知らないフリをしてあげる嘘。

とゆうものは、相手の、弱い部分や、知られたくないことなど、世の中たくさんあります。つらいことを抱えて生きている人にたいして、いちいちそのツラい部分に触れる必要は、ありません。゜

その時は、知らないフリをしてあげるべきでしょう。

そのことで、相手も、お互いに安心できるのです。

知らないのに、知っているフリをしてあげる嘘、とゆうのは。

たとえば、小さな子供が一生懸命に、なにか新しいことを知った時に、教えてくれたとします。

その際に、「そんなこと、昔から知ってるよ」

それはどうでしょうか。

小さな子供は、どう感じるでしょうか。

その小さな子供は、そんなことが繰り返されるうちに、どう思うかというと。

こうなります。

「この世に、自分が知っていて、人に教えてあげられることなんて、ないんだ」

となります。そして、

「がんばって知ろうとしなくても、いいのかな・・・」

となります。

ですが、その小さな子供に、「なるほど、知らなかったよ、ありがとう」

となった場合、その小さな子供はどう思うでしょうか。

「教えてあげて、良かったなあ、もっとたくさん知ろう、教えてあげよう、たくさん勉強しよう」

となります。

結果的に、小さな子供が。

・自分だけ知ってることなんてないんだ・・・

・なにも知らなくても、いいんだ・・・

となる場合と

・どんどん色々勉強して、いろいろ教えてあげよう。

とゆう場合と、どちらが理想的でしょうか。

僕は、後者のほうだと思います。

なかなか、【善・悪の定義】とゆうものは、いつの時代も、今の時代も、どんな時代も、男女であっても、さまざまで、定義とゆうものになると、これまた本当に複雑、極まりない世界だと思いますが。

人が喜んで、嬉しくて、自分も喜んで、嬉しい。

それこそが、【善】ではないでしょうか。

人をキズつける【悪】の行為は【悪の連鎖】を生み出します。

悪は悪を生み、悪は悪を増やしつづけます。

人をキズつけたら、その人も、人をキズつけます。

そのことを繰り返して、心や魂が成長して、より強い心に成長できる人もいますが。

どうにもならずに、命をたってしまう場合もあります。

誰しもが、誰しもに優しい、どんな時も、すべての人が優しく、嘘をつかず、そんな世界は、これもまた、弱い心のものばかりの世界になってしまうでしょう。

結果的に、弱い心のものばかりになることで

自分を守ることしか、考えられない人間だけの世界になります。

やはり、心もまた、鍛えられないと、本当に強くはなれないものです。

そのためには、やはり多少は【】も必要であり、必要悪、とゆうようにいわれるものなのかも、しれません。

心がキズつくことで、成長し、善に近づく

これは言い換えると、悪がいるから、善になれる。

ともいえるものかも、しれません。 

 

これは、光と影の関係とも、同じことだといえると思います。

光があるから、影ができ。闇があるから、光が輝く。

 

では、このあたりで、

【酔いどれグダグダエッセイ】第5回・人の善悪について①【嘘(うそ)】編

を失礼いたしますm(_ _)mデワ